東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1143号 判決 1960年6月01日
原告 李斗元
右訴訟代理人弁護士 飯山悦治
被告 牧野栄吉
右訴訟代理人弁護士 菅井和一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、まず原告の売買代金の請求について判断する。原告主張日時に、原被告間にスイス製時計一三五個を売渡す売買契約が成立したこと、被告が原告に対し内金二〇五、〇〇〇円を支払つたことについては原被告間に争はないが、右時計の売買代金額について被告は原告主張の五六五、〇〇〇円を争い四二万円であると主張する。甲第二号証は被告本人尋問の結果に照したやすくその成立を認めることができず、その他原告主張の代金額を認めるに足る証拠がないので結局、被告が認めている四二万円の限度においてこれを認めるの外ない。そこで、被告の本件売買契約は公序良俗に違反し無効であるとの抗弁について判断する。証人関森勝の証言被告本人尋問の結果及び甲第三乃至第五号証の各一を総合すると、原告は本件売買直後の昭和三一年三月末頃神田警察署において関税を逋脱して輸入した外国製時計を売買した疑で取り調べられた上起訴され、有罪の判決を受けたこと、本件時計売買代金支払のため被告から原告宛に振出された小切手から、被告自身も同様の嫌疑で神田警察署の取り調べを受け、本件時計が関税逋脱の密輸入品であることを知つて買受けたことを自白したことが認められ、更に、右証言及び原被告各求人尋問の結果によれば、原告は当時主として外国製時計の卸売を業としていたが、店舗も事務所も構えていなかつたこと、被告は昭和二九年末頃以降原告から外国時計を買受けていたが、いずれも関税逋脱の密輸入品であり、その取引については、原被告共一切帳簿に記載することもなく、時計及び代金の授受にあたつても被告の近所の喫茶店や旅館を使用するなど通常の売買取引と異り異常な取引方法により行つていたこと時計商が見れば、商品の時計が正規の関税手続を経たものか関税逋脱品であるかは証紙の有無によつて容易に知り得ることが認められる。右事実に反する原告の供述部分は措信できない。従つて原告及び被告は本件時計の売買に際し、これが関税逋脱品であることを知りながら契約したものというべきである。関税法は輸入品に関税を課することにより外国物資の輸入を制限し、関接的に国民産業を保護し、それにより国民経済の安定、発展を計るものであつて、現今、世界各国がその方法範囲に広狭の差はあつても殆ど類似の制度を採用しており、我国民の倫理観からいつても右法律に違反して関税逋脱品を売買することは公の秩序に反する行為と云える。依つて当事者が関税逋脱品であることを知りながらなした本件売買契約は公の秩序に反し無効のものというべきであるから原告の右売買代金請求は失当である。
二、次に原告の第二次的請求について判断する。本件売買契約が公序良俗に反し無効であることは前記認定のとおりであるから右売買の目的である時計は依然として原告の所有というべきであり、被告が右時計を第三者に既に転売してしまつた事実については原被告間に争がない。しかし、右転売により原告の損失において被告が本件時計代金相当額を法律上の原因なく利得したとしても本件時計を原告が被告に交付した原因は前記のように公の秩序に反する不法な売買の目的としてなされたものであるから、原告は右利得の返還を請求することはできないし、又被告の転売により原告が時計代金相当額の損害を蒙つたとしても、原告自らの公の秩序に反する行為によつて損害を招いた場合はたとえ被告に不法行為があつてもその損害の賠償を請求することはできない。従つて原告の第二次的な請求も失当である。
結局被告のその他の抗弁について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三渕嘉子)